私は長年、ファッションの世界で仕事をしてきました。
そのため、このプロジェクトを始めたときも、
ごく自然にファッションの文脈の中で考えていました。
伝統工芸を使った服をつくる。
最初はそういう認識でした。
ところが、プロジェクトを進める中で、少しずつ違和感を覚えるようになりました。
その違和感の正体が、最近ようやく見えてきました。
ファッションの世界では、「何が新しいのか」が問われます。
新しいデザインなのか。
新しい素材なのか。
新しいシルエットなのか。
つまり、価値は「何をつくったか」に置かれます。
一方で、私がこのプロジェクトを通して考えていたのは、
「新しさはどこにあるのか」
「なぜそれが新しいのか」
ということでした。
西陣織も博多織も友禅も漆も水引も、技術そのものは何百年も前から存在しています。
決して新しいものではありません。
では、新しさはどこにあるのか。
それは、それらを結びつける関係性です。
工芸と工芸。
伝統と現代。
日本と世界。
技術と物語。
これまで別々に存在していたもの同士を結び、違う文脈に置くことで、新しい意味が生まれる。
私が面白いと感じていたのは、まさにそこでした。
そして、その「なぜ」の奥には、二つの思いがあるように感じています。
一つは、
まだ見たことのない景色を見たい
ということ。
伝統工芸を単なる素材として使うのではなく、それぞれが本来の役割や文化的背景から一旦離れ、
再編集したとき、どんな世界が立ち上がるのか。
私はその景色を見てみたいのです。
もう一つは、
職人に継続的に仕事が入る仕組みをつくりたい
ということです。
伝統工芸の世界では、多くの職人が高い技術を持ちながらも、
仕事の継続や後継者の問題を抱えています。
私は工芸を「守る」だけではなく、
現代社会の中で新しい価値を生み出しながら循環する仕組みをつくりたいのです。
そう考えたとき、
このプロジェクトはファッションというよりも、
文化を編集する行為に近いと感じました。
新しい服をつくることが目的なのではありません。
文化と文化の間に新しい関係性を見出し、新しい意味を生み出すこと。
そして、その意味を未来へ手渡していくこと。
そんなとき、ある海外の美術館のキュレーターの方から、
プロジェクトのこうした思想にについて「とてもクールだ」という言葉をいただく機会がありました。
もちろん、その一言ですべてが証明されるわけではありません。
けれど、自分が感じていた違和感は間違っていなかったのかもしれない。
そう思えた出来事でした。
今は、このプロジェクトをファッションブランドとしてではなく、
「文化を再編集し、未来へつなぐための試み」として捉えています。